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差別さべつ目印めじるしえりかけなど


えりかけの様子ようす

 被差別民衆ひさべつみんしゅうめいじられた衣服等いふくなどかんする差別さべつ強制きょうせい
 安永あんえい7ねん(1778)10がつ幕府ばくふはえた・ひにん身分みぶんたいし、その風俗ふうぞくについての御触書おふれがき発布はっぷし、「穢多えた非人ひにん茶筅ちゃせん被差別民衆ひさべつみんしゅう一種いっしゅ)」身分みぶん再統制さいとうせいはかっている。
大分県おおいたけん諸藩しょはんでも被差別民衆ひさべつみんしゅうたいしこの幕府法令ばくふほうれいしめしつつ、その意図いと実現じつげんするために外見的がいけんてき差別さべつ強制きょうせいしている。

 岡藩おかはんでは安永あんえい7ねんの8がつ幕府ばくふ法令ほうれい先立さきだ藩内はんないのえた身分みぶんひとびとが公用こうよう出掛でかけるときに、黄色きいろえり着物きものけるようにめいじている。
さらに幕府法令ばくふほうれいされたあとの11がつには黄色きいろえりかけの強制きょうせいくわえ、着物きものいろについても「浅黄染あさぎぞめ(うすい水色みずいろ)」「渋染しぶそめ(柿色かきいろ)にかぎる」ということをめいじている。
そして8がつときにはなかった「目明めあかし(犯罪人はんざいにん探索たんさくたる)」の仕事しごとおこなひとびとにも着衣ちゃくい染色せんしょく同様どうようめいじられた。岡藩おかはんでは、これら「目明めあかし」はひにん身分みぶんひとびとがおこなっていたようである。

 また杵築藩きつきはんでも、文化ぶんか2ねん(1805)、幕府法令ばくふほうれい伝達でんたつとともに被差別部落ひさべつぶらくひとびとに「浅黄半掛あさぎはんがけ」の強制きょうせいおこなっている。これに反対はんたいした被差別部落ひさべつぶらくひとびとがこしたのが浅黄半掛あさぎはんが拒否逃散一揆きょひとうさんいっきである。
そして、浅黄半掛あさぎはんが拒否逃散一揆きょひとうさんいっきたたかったひとびとがたよりにおもった島原領しまばらりょう被差別部落ひさべつぶらくひとびとにも文化ぶんか6ねん(1809)、幕府法令ばくふほうれい厳格げんかく遵守じゅんしゅめいじる法令ほうれいされている。
こうした法令ほうれい意図いとはどこにあるのか。杵築藩きつきはん島原領しまばらりょう様子ようするとき藩内はんないでは百姓ひゃくしょう町人身分ちょうにんみぶん被差別民衆ひさべつみんしゅうはんのねらいとはちがっていがあるような状況じょうきょう推測すいそくされる。
 民衆みんしゅうの「差別さべつなきい」をきらった幕府ばくふはんはこうした状況じょうきょう見逃みのがすことはできず、視覚的しかくてき容易よういかる外見的がいけんてき差別さべつ被差別民衆ひさべつみんしゅう強制きょうせいしていったのである。
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別府的ヶ浜焼べっぷまとがはまや事件じけん


事件じけんほうじる新聞記事しんぶんきじ

 全国水平社ぜんこくすいへいしゃ結成けっせいされた直後ちょくごの1922ねん大正たいしょう11)3がつ25にち大分県別府的ヶ浜おおいたけんべっぷまとがはまにあった数十戸すうじゅっこ家屋かおく別府署べっぷしょ巡査じゅんさらによってはらわれるという異常いじょう事件じけんきました。これが別府的ヶ浜焼べっぷまとがはまや事件じけんです。平和へいわ生活せいかつしていたひとたちに、なぜ突然とつぜん退去命令たいきょめいれいをだし、住家すみか放火ほうかしたのでしょうか。

 別府警察署べっぷけいさつしょは、放火ほうか理由りゆうとして別府的ヶ浜べっぷまとがはま集落しゅうらく住人じゅうにんたちが「町内ちょうないりや袖乞そでごいし、浴客よくきゃくはなはだしく不快不安ふかいふあんねんあたえている。公安上こうあんじょう犯罪予防上有害はんざいよぼうじょうゆうがい判断はんだんしたのではらった」とはじめ発表こうひょうしています。しかし、近日開きんじつひらかれる赤十字社大分支部総会せきじゅうじしゃおおいたしぶそうかい皇族こうぞく来県らいけんし、列車れっしゃなかから的ヶ浜まとがはまにある『弓掛ゆみかけのまつ』(源為朝みなもとのためともゆみけたとつたえられる)をる。そこに貧民部落ひんみんぶらくがあっては不敬ふけいであるからはらった」というのが事実じじつちかがします。

 これほど被差別ひさべつ立場たちばにあるひとびとの人権じんけん無視むしした行為こういはないといえます。はらわれたひとびとの救済きゅうさいにあたった浄土真宗布教師篠崎蓮乗じょうどしんしゅうふきょうししのざきれんじょう的ヶ浜隠人まとがはまおんじん)の『別府的ヶ浜事件真相べっぷまとがはまじけんしんそう』によると16けん80めい、このなかには在郷軍人ざいごうぐんじん5めいふくみ、勲章くんしょうをもらったひともいました。しかも警察けいさつのはじめの発表はっぴょうとはちがい、生業なりわいにもたずさわっていたようで税金ぜいきんおさめていたひとおおくいました。篠崎蓮乗しのざきれんじょうほか仏教会ぶっきょうかいひとびとの救済活動きゅうさいかつどうも「無用むよう介入かいにゅう」と警察けいさつ妨害ぼうがいしています。

 この事件じけんについて、当時とうじ新聞しんぶん暴挙ぼうきょととらえ、きびしい批判ひはん報道ほうどうしました。そのため、帝国議会ていこくぎかい人権問題じんけんもんだいとして論議ろんぎされ大分地方検事局おおいたちほうけんじきょく取調とりしらべまで発展はってんしましたが、結局けっきょくは「説得せっとくによって自分じぶんたちでこわした」という警察側けいさつがわ主張しゅちょうみとめられ、事件じけん一応解決いちおうかいけつをみました。

 この事件じけんおも全国水平社ぜんこくすいへいしゃは、創立者そうりつしゃ一人ひとり米田富よねだとみ派遣はけんし、的ヶ浜まとがはまんだことのある篠崎蓮乗しのざきれんじょうとともに、各地かくち的ヶ浜焼まとがはまや事件じけん真相しんそうかた地域ちいきごとの水平社すいへいしゃ設立せつりつ必要ひつよううったえました。
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日田朝日新聞ひたあさひしんぶん』の差別事件さべつじけん


事件じけんつたえる水平新聞すいへいしんぶん

 日田郡水平社ひたぐんすいへいしゃは1929ねん昭和しょうわ4)6がつ26にち日田公会堂ひたこうかいどう発会式はっかいしきおこなわれた。日田郡水平社ひたぐんすいへいしゃは、大分県人自おおいたけんじんみずからのによって組織そしきされた水平社すいへいしゃである。委員長いいんちょう毛利千造もうりせんぞう(1901〜34)を中心ちゅうしん活発かっぱつ活躍かつやくした。

 日田郡水平社ひたぐんすいへいしゃ創立そうりつされてから、村祭むらまつりの行事ぎょうじからしめだされた地区民ちくみん差別排除さべつはいじょたたかい、夜学校よがっこうでの教師きょうし差別発言さべつはつげんたたかいなど、日田地方ひたちほうにおいて数多かずおおくのたたかいがまれていたが、そのひとつとして日田朝日新聞差別事件ひたあさひしんぶんさべつじけん注目ちゅうもくあたいする。

 日田朝日新聞差別事件ひたあさひしんぶんさべつじけんは1930ねん昭和しょうわ5)6がつ出来事できごとである。『日田朝日新聞ひたあさひしんぶん』『大分朝日新聞おおいたあさひしんぶん』の両紙りょうしに、広重美木ひろしげみき(ペンネーム)が「水郷日田すいごうひたあそぶ」とだいする紀行文中きこうぶんちゅうで「部落ぶらく青年せいねんひと寝静ねしずまったころやって電灯でんとうをブチこわした。青年団せいねんだんあたりでコッピドクやっつける必要ひつようがある」という記事きじいた。

 全九州水平社ぜんきゅうしゅうすいへいしゃ日田郡水平社ひたぐんすいへいしゃ報告ほうこくけ、現地げんち井元麟之いもとりんし(1905〜84)を派遣はけんし、調査ちょうさした結果けっか日田朝日新聞ひたあさひしんぶん』の記事きじにあるような事実じじつがないことがわかった。そこで、日田ひた全九州水平社ぜんきゅうしゅうすいへいしゃ中心ちゅうしんとなって『日田朝日新聞ひたあさひしんぶん』の記事きじは「エタり」を扇動せんどうしたものとして重視じゅうしし、糾弾きょうだんみをこした。そして2かげつ闘争とうそう結果けっか謝罪文しゃざいぶんを3日間かかん両新聞りょうしんぶん掲載けいさいすることで解決かいけつしている。

 昭和初期しょうわしょき日田ひた被差別部落ひさべつぶらくは、製靴せいか肉販売にくはんばい製材工せいざいこう筏流いかだながし、草履ぞうりづくりなど生業なりわいらしをてていた。水田すいでんはたけ所有しょゆうするものはごくまれで、大部分だいぶぶん被差別部落民ひさべつぶらくみんきわめて劣悪れつあく生活環境せいかつかんきょうにあり、1にちむぎ雑穀ざっこくいうる程度ていど日雇ひやと仕事しごとれていた。4畳半じょうはん1、6じょう1土間どまという、わら屋根やね住居じゅうきょであり、一般地区いっぱんちくとの交流こうりゅうざされ、結婚けっこん大部分だいぶぶん被差別部落民ひさべつぶらくみんあいだおこなわれていた。そうしたきびしい差別さべつのなかでの解放運動かいほううんどうであり、融和運動ゆうわうんどうつよ展開てんかいされるなかでの解放かいほうへのたたかいであった。

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